脱臼したので登山ブログ始めてみた。

令和二年六月末日、仕事中の事故により左肩を脱臼,骨折。リハビリ中時間を持て余し、この機会に登山ブログを始める。山,食,キャンプ。それ以外の日はほぼ雑談。

自分が登山を始めたきっかけエピソード前編

こんばんは!

そろそろ冬山デビューの記事を書きたいんですが、購入した装備が未だに届きません。

輸入品なので税関で何かあったんじゃないかと心配ですが、流石に今週中には届くんじゃないかなと‥。

 

しばらく山にも登ってないんで、身体だけでも作っとかなきゃなと思っています。

多分今なら低山の三角山程度の所でもハァハァいってしまう自信があります!

 

2カ月ちょっと登っていないだけで随分前の事のように思えて、なんだか懐かしさすら覚えます。

 

最後に登ったのは銭函天狗山でした。

 

 

 

すっかりどんな事を書いたかも忘れてました。

結構大変だったみたいですね。

懐かしいついでに今日は、今更なんですが自分がどうして登山を始める事になったか、その経緯をお話します。

 

自分は登山暦としては3年目になります。

そもそものきっかけは居酒屋での話の流れからなんですが‥‥

そっか‥‥三年前は普通に皆で居酒屋で、なんの気兼ねも無くわいわいやってたんですね‥‥。

 

withコロナという異常な状況が、今や非日常では無くなり、それに慣れつつあるようで‥‥。

 

まあそれはそれとして、話は三年前。

某ボランティア組織の活動の一環で、ある種の訓練大会的な行事が毎年ありまして、各地区それぞれ数十名の中から5名程度が選出されて、訓練内容を競い合う‥‥要は地区対抗運動会ですね。

 

多分この時点でもうどの組織かというのは、気付いた方もいるんじゃないかなと思います。

お金の管理の事とかで、ちょいちょいネットで叩かれてる肩身の狭い組織です。

 

それでも胆振東部地震の時なんかは、地震の30分後くらいには出動してましたよ。

真夜中の停電で外灯も信号も全滅。真っ暗な中懐中電灯の灯で、車に轢かれないように気をつけながら‥

昼頃には混乱も落ち着き、一旦帰宅しましたが、それまで家族の状況もわかりませんでした。

とまあそんな組織です。

 

大会の話に戻します。

5年ほど前に、自分が指揮したチームが幸運も手伝って優勝してしまい、毎年選手としては出ていたのですが、それ以来ずーっと選手兼監督をやらされています。

 

毎年大会一カ月前から練習が始まるのですが、もちろん皆それぞれの職を持っていますので、集合は仕事前の早朝5時半とかそういった感じで、所謂朝練ですね。

 

自分は機材の準備等をしなければならないので、皆より30分は早く行かなければならず、そんな事若いのに任せれば良いのだけれど、機材を運搬する車輌として自分の仕事で使ってる車を貸し出しているので、そういう訳にもいかないのです。

 

ここ数年のメンバーは

20代が2人、30代が1人、自分が40代、最年長の方は50代です。

その5人でチームを組むわけですが、若手2人は朝野球で大会なんかも出たりしていて、現役バリバリなはずなんですが、それなりに体力のいる競技(?)なので、朝練の中盤くらいには相当グッタリしています。

 

仕事前の朝練という事もあって、その一カ月はなかなかハードな月になります。

そういった訳で労いの意味も込めて、大会前にミーティングという名の飲み会を毎年一回やっていました。

メンツはチームの5人と、サポート的な役割で参加されている方(50代)が1人。

 

上は50代から下は20代、職種もばらばらのその6名で居酒屋へ行く訳ですが‥‥

 

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今日のところはここまでです!

次回また続きを書きたいと思います!

 

 画像はPinterest

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から持ってきてるんですが‥‥一応フリー素材という認識なんですが、こんなん転載して大丈夫なの?というのが結構あります‥‥もし間違った事をしていたら指摘していただけるとありがたいです。 

 

お付き合いありがとうございました!

それではまた🙌